由仁町 工房ワタリガラス 日々のあれこれ   

                                                                                        北海道の由仁町にある小さなガラス工房と小さなギャラリー                                                                 日々の暮らしの中でささやかだけど幸せをくれる                                                          そんな丁寧に作られた器やクラフト雑貨・アート作品を作家の手からあなたの手へ

October 2018

こちらは日々の雑多ブログです
*ギャラリーteto²の詳しい営業情報は姉妹ブログの方をご覧ください!*
http://gallerytetoteto.blogspot.jp/

ようやくか チャンネル1個切り替わり

DSC_0189

さてさて

昨日(え~?まだやり始めてなかったの~???という声が聞こえてきそう)
やっと工房仕事始めましょうか・・・と
掃除しに 夕方(しかも4時ごろから5時まで)工房へ。

そうです。

カテゴリーをご覧ください!

『復帰への遠い道のり 2019』はじまりました!


重すぎるよ私の腰!

ではありますが 
先日札幌出て 道中の車の中
いろいろ考えながら1日動いていたら・・・

ようやくいつもの 
ギャラリー店主⇒吹きガラス屋への転身へのチャンネル(10個くらいあるんですけどね・・・)
1個くらいは

ガチャ!

って音たてて切り替わりましたよ。笑(まだ1個か~!!!



そんでやっとお掃除から。

地震で壊れているであろう窯なおしに取りかかるのは明日くらいかしら…はははのは~



地震で高いとろに飾ってあったサンプルや在庫が落ちて割れてて
(まだそれすら片づけてなかったの~)

箒で掃いてて

1.2メートルくらいの高さからコンクリートの床に落ちているのに割れてない作品とかあって

? なんで割れてないんだろ~??? って不思議に思っています。

本当に小さな傷くらいなら(この先それが広がって割れる心配ないやつ)
そのままお買い得作品にして全額チャリティーに回しちゃおう




まぁ こんな感じで少しずつ
このカテゴリーの記事が増えて行くよう頑張ります。


でも今年はちょっと早めに始めなければならぬ特別な理由もありーので。

そのお話もおいおい。

今日もお片づけがんばりま~す。
(例年よりはまだ全然寒くないので その点はよしとしよう!)














ご報告遅くなりました


忙しい忙しい!と書いている割には
全然仕事が進んでない気が…

こちらのブログは
ギャラリーブログの番外編ではありますが
一応ギャラリーに関しての記事も書く場であって
大事なこと 早めにお知らせしなきゃいけないこと
どんどん書いてかなきゃいけないのに
自分の愚痴書いてる場合じゃない!!!




というわけでは本題。

今年もお店では
小さな募金箱を設置して 
福島から保養に来る子供たちの保養支援金や
東北の地震後 今も現地へ通い活動を続けている
友人の支援団体への募金を集めております。


DSC_3253稚内のこぎん刺し作家petit coudreさんから
売り上げの一部を募金へ回してください と
毎年お預かりしている
小さな愛らしいピンクッションの売り上げや


FUTABA-2


私のガラス作品のやきもの市での売り上げや
店内での販売の売り上げ等々

少しまとまると入金…という感じで入金もしておりましたが
その後報告がまだでした。

ここにご報告させていただきますね。








今年はまずこちらの二つへ

DSC_01712011.3.11の大震災で被災した地域へ行って
いろいろな会を企画・運営している
友人の非営利団体「本気で元気☆応援隊」 こちらをクリック

こちらは現在 会の母体は変わらず
さらに支援する方々に寄り添った
支援を目指すため 活動内容を見直し
名前が変わっておりますよ~。



La La Sakura〜ララサクラ(HP)
ぱっと明るく華やかであったかいお名前
HPページは以前と同じです。
活動内容を見て応援してあげてくださいね♪





DSC_0173

そしてもう一つは
こちらも昨年から支援をしております。
昨年は保養の場所である きょうどうの家にも
遊びに行かせていただきましたよ。
その時の記事

保養はもちろん今年の冬にも行われます。
只今リンゴの販売等で保養の資金を集めてらっしゃいます。
リンゴを買って保養を支援しよう
おいしいリンゴが食べられますので
注文してあげてくださいね~。




このふたつの募金の入金が7月と8月。(ほんと報告遅くなりました・・・

そしてこの募金を入金した少し前に起きたのが
西日本の豪雨災害でした。

去年の熊本地震の後から 活動資金を募金している北海道の支援団体
災害救援ネットワーク北海道本部 チームやんじー
すぐにキッチンカーを携えて岡山へ行かれていたので
teto²でも この時期からやんじーへの募金を集め始めました。

その2カ月あとに北海道で起きたのが 胆振東部の大地震でした。
豪雨地震の後にいったん北海道へ戻っていたやんじーたちは
すぐに鵡川で炊き出しを始めました。


少し集まって まず手渡しで¥10,000をお渡ししました。

DSC_0174

そしてそれからまたしばらくして
募金箱や作品売り上げから
募金を入金いたしました。








今も店のレジ横には小さな募金箱が設置してあります。
来週から始まる『小さなおくりもの展』では
被災した方達への小さなおくりものという意味で
DSC_1330
募金を募ります。
このチャリティーイベントに参加してくださる
作家さん達のいくつかの作品の売り上げの一部を
募金に入れさせていただきます。

ささやかでもいいのです。
もし余裕がありましたら募金をお願いいたします。





そうそう。こんなあったかいお気持ちの作品も届いております。

DSC_0062地震のすぐあとに
常設作家のお一人である仙台市のこぎん刺し作家
unemiさんが 
ご自分の作品のリネンや遠州木綿のハンカチに
こぎんを刺したものを
「この売り上げを全額寄付してください」と
送ってくださいました。

すでに残りは3枚となっております。

東北地震で大変だった事があるご自身の体験から
気持ちがわかるので…という感じでしょうか。
本当にうれしかったです。





今年は 本当に 
次から次へと災害が起きましたね。(まだ起きるかも。。。)
大阪で大きな地震もありましたし
胆振地震の前日の台風被害も相当なものでした。

どこに暮らしていても 自分が被災者にならないとは言えない日本列島。
支援は手を差し伸べられるときで十分だとは思います。

でも福島の子供たちの保養もまだまだずっと続きます。

teto² はこれからもこんなペースで
出来る範囲で でも息の長い支援
続けていきます。



最期になりましたが
これだけの金額を募金できているのは
お気持ちを寄せて募金くださった皆様
そしてチャリティー作品をお買い上げくださったお客様が
たっくさんいらしたからです。

teto²は本当にお客さまに恵まれているな。。。と
こんなところでもしみじみ思うのであります。

皆様いつもありがとうございます。



ご報告まで



















いろいろあるけど謙虚に謙虚に

ここ2カ月ほど いろんな人の所に行ってお手伝いしたりして
普段より断然人と触れ合う機会が多い。

いつも気をつけてはいても
言葉や言動で知らぬ間に相手を傷つけていたりするかもしれない。

その逆もしかり。


余裕がある時は・・・
自分の考えていることや感じたことの中に エゴが潜んでいると・・・
自然に自分が使っている言葉で
自分本位か他人を尊重しているかに気がつくことができるけれど

余裕がなくなってきたり調子に乗っていると・・・
エゴから生まれた考えや言動だってことにすら気がつかない・・・(T_T)


いやな気分にさせられた時も
振り返ると 自分自身がまいた種ってこともある。


ちょっと気持ちがモヤモヤすることが続いて
なんでこんな厭な気分なんだろ~って考えて
やっぱり少し調子に乗っている自分を発見しちゃう。

謙虚に謙虚に。


でもこういう思いをしたくないからって
人と交わるのもセーブしよう。。。とはなりたくない。


自分にできること
出来ないこと
気を使うべきことろ
自分のやることに集中して・・・

いろいろ
きちんと見極めて

はい。謙虚に!


笑 
詳しいこと書かないと何のことやらですが・・・

自省の意味を込めてのメモ書きでした~。











大きな災害は対岸の火事ではなく ③ ボランティアに行ってみた編

昨晩 寝る前にちょっとモヤモヤすることを聞いてしまって
明け方目が覚めたら 考え事で眠れなくなっちゃいました。。。

で このブログ。

私にとっては今や自分の気持ちの整理に欠かせないアイテムがこのブログを書くこと。

人に読まれるためのブログというよりは
過去に自分が何をして どう感じて そこから何を学んだか…の足跡が
文字として残っていると 
たまに読み返した時に その時の自分との違いから
自分の成長や 変わらない価値観が見えてくるから書いてます。

長くなるのはご愛嬌。(今回も長いよ~)
お暇な方のみお付き合いを。笑





②からの続きですが・・・

今回 自分もある意味被災者と言っていい災害が 自分の暮らす町や近隣の町で起き
『今自分は何をすべきか?』と自分に問うた時
幸い 自分の家族も家もほぼ損害がなく 友人たちも無事だったので
自分の動揺がおさまるのを感じ始めた震災後1週間後位に
ボランティアに行ってみよう!そう思い立ちました。

FBでボランティア募集の情報が流れていたので 一番近い安平町に行くことに。
その時FBでは「住宅内の清掃」のボラも募集していたので
これならやれると思い そのボラの登録サイトに登録。 

そしてまず 町の福祉協議会というところでボランティア保険*に加入。
(*これは災害ボランティアをする際に必要な保険で加入に¥500かかります。
一度入るとその後は加入証明書みたいなカードを持っていればいつでもどこでもボラには行けます。
逆にないと ボラ先で事故に巻き込まれた時など保険が利かないので
ボラに行く人は必ず入って来るように言われます。
住んでいる市町村の社会福祉協議会というところで加入手続き出来ます)


土日は店があったので さらにその翌週
お隣の安平町のボランティアに参加してきました。

朝9時頃家から車で40分ほどのボランティアセンターに到着し
手続きを済ませ 
自分がどこの町のなんという名前かを書いたでっかいシールを服に張り付け
ボランティアの仕事の振り分け説明を聞きました。
集まっているのは200名くらいでしょうか?
みなさんの胸のシールを見ると 道内各地はもちろん本州の方も結構いらして
沖縄からの方もいてびっくり!!!
なんかありがたくって涙でそうでした。

「○○の仕事があります。やれそうな人~?」とセンターの人が呼び掛けるたびに
『はい!』と手を挙げて 自分が参加する仕事の説明を聞きに集まります。

最初は
「力仕事なので出来れば男性」とか
「ボランティア経験者の方~?」という呼びかけで
自分がやれる仕事はあるのかしらん?とぼんやり待っていたら
どんどん人が少なくなって 残っていた人達で 6人程度のグループが3つほど作られ
その単位で動くことに。

私たちのチームの仕事は 2トントラックの後ろを ハイエースに乗り込みついて行って
町の各地にある災害ゴミをトラックに載せること。

でも結局依頼のあった場所へ行くと
とても2トントラックには乗せられない大きさのトタン屋根だったり
クレーン車がないと持ち上げられない大きな石像の土台だったり・・・

それであきらめてセンターに戻り
次の仕事を振り分けられるのを待つこと1時間ほど・・・
「センター横の子供園で子供たちと遊んであげてください」
(先生の中には被災して園に来れない先生もいるそうで 遊んでくれる大人が足りない)と言われ
子供たちと30分ほど戯れ そしてお昼。

✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀

ボラセンの方達も 細やかに指示してくださるけれど
やはり現場は混乱してるんだな。。。というのが素直な感想。 
こういう待ち時間も出来ちゃうし
仕事を言われて現場に行っても素人ではどうにもならない仕事だったり・・・

せっかく自分の予定を1日開けて ボラに行くからには 
時間目いっぱいボランティアしたい!
そういう気持ちがなかったわけではないので
ちょっと肩すかし。

でも

余震もまだまだ続いて混乱する中 
自分たちも被災しているのに 
これだけたくさんのボラの人たちを束ね 仕事を割り振るするのも大変だし
待ち時間の間 
いろいろ片づけてほしい住民の人がセンターにやって来て 苦情を言っているのを
丁寧に聞いているセンターの人を見ていたら

待ち時間を気持ちよく待ってあげるのもボラの務めだわな。。。と反省。


そして持参のお弁当を食べた後は
午前中のメンバー3人と別のお仕事。

今度は町に出されたゴミの運搬仕事。

配属された追分地区は 一見それほど被害がないように見えて
住宅地は至るところ道路が陥没していて通行止めがあったり
住宅の花壇やブロック塀はことごとく倒れ崩れていて・・・・・

そして各家々の前には大量の災害ゴミ。
家の中はぐちゃぐちゃになるほど 揺れたそうで
割れた食器やガラスも含め倒れて壊れた家具などが山盛りに出されていました。

そういう災害ゴミは後日まとめて収集するので
家の前にのみ出すようにアナウンスしていても
普段一般ごみを出すごみステーションにも 
そういった災害ゴミを出している人がたくさんいて
そのままだと普通のゴミが収集できなくなるので
ごみステーションを回って 出されている災害ゴミを収集して回りました。
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photo:安平ボランティアセンター



午前中一緒に仕事したメンバーに加え 
午前もこの仕事をした若いお兄さんとボラセンの人で5人チームが出来上がり
あとトラックの運転をしてくれる産廃業者さん2人の7人で
ひたすら追分地区のごみステーションを回り 災害ゴミをトラックの荷台に積み上げるお仕事。

ボラセンの方のお話では その日1日で
158あるごみステーションのうち56のステーションがきれいになったとか。
でもまだ3分の2残ってるし
午前に同じ仕事ししていたボラのお兄さんが言うには
さっき収集したステーションに午後またごみが捨てられてますね~。。。とのこと。

まだ住民にアナウンスが行きとどいてないようで
この仕事も片付くのはまだまだ先になりそうな・・・

またごみの出し方もアナウンスがされていないため
割れたガラスや食器がビニール袋から突き出ていたり 
運びやすいように紐で縛ってあるものが少なかったり
災害ゴミとはいえない 断捨離のようなゴミまで出ていたり・・・
まだ全然使える家具がごみに出ていたり。。。


被災された方々を責めている意味ではなく
あれだけ大きな地震が起きると 家の中がぐちゃぐちゃで
まずはそれを片づけないことには暮らせないわけで

そうなると ごみの捨て方も自然と乱雑になるし
まだ使えるものも その被害の大きさを感じさせるような傷が残っていれば
見えないところへ処分したい心理があるのかもしれないな。。。と

もったいないな…とか危ないな…とか思うたびに
被災者の方達の家の中を想像して
複雑な気持ちになりながらの作業でした。

時間にしたら 1時から5時くらいまで。
結構危険なごみもあり こういう作業は軍手でなく皮手の方がいいかも。

お昼は持参が基本ですが 
炊き出しの方たちがボランティアの人たちの分も作ってくれていることもあるそうで
そういうお昼をいただいたり 
現地で営業再開しているレストランやコンビニでお昼を済ますのも
支援になるんだな…と知りました。

あと自分の荷物は基本持参して作業するので
リュックに入れて持ち歩きが基本でした。
我々は乗っていた車に荷物載せてました。


安平町は
ボラセンの仕事の割り振りが早い方で
町民のニーズを確認するために 全戸を訪問して二ーズを聞いて回り
それに添って動く という中越地震でのノウハウを伝授してもらってやっていたそうです。

さらにその隣の厚真町では
被災者の災害支援金の登録手続き等を先にしたそうで
安平町ではそれを不満に思う人もいて
ボラセンの方々に苦情が寄せられ
そういう復興への取り組みのやり方についてもご苦労なさっていると聞きました。

各市町村によっても細かなやり方が違うのですね。。。



はたと思い浮かんだのが・・・
うちの町はこういう時 どう動くか決まっているんだろうか?
ボランティアの人が来たら誰が仕切るんだろう?という素朴な疑問。

そして もし自分の町が被災したら・・・
自分自身も 何をすればいいんだろ~ 
何ができるんだろう。。。




ボラ初日は終了。



長くなったのでボランティアに行ってみた編 Part1はここでおしまい。

ボランティアに行ってみた編 Part2に続きます。


DSC_1340
                            ボラを終えて帰るときに自衛隊のヘリが着陸するのに遭遇
                     ヘリを間近で見たの初めて。
                        大きいんですね。。。

                    自衛隊の方々にも本当に感謝です。





















大きな災害は対岸の火事ではなく ②

9月の間は ほんとうにいろんなことがあったのに ブログ書く時間もなくて
時間が経つと忘れていくことも多く
タイムラグありありですが
本日はまとめていろいろ更新しときます。




このタイトルの記事①を書いた日付は
まさに北海道で大きな地震が起きた翌朝でした。

我が家では ミニソーラーシステムがあったので
停電は関係なく パソコンも使えて 安否情報載せれて
道外の友人からは
「大丈夫だったのね~ブログとかフェイスブック見て安心したよ」と後で連絡もらいました。

その後
地震の前日の台風被害で抜けて倒れた庭の大木の話までは書いたような…

というわけでこの記事は主に地震のその後
この記事(こちら☆)の続きということになります。

*相変わらず長々書きますよ~。だって覚えておきたいこともあるから。




***********************************




2018年9月6日 深夜3時頃 
大きな揺れで目が覚め つれあいのスマホからは地震警報のアラームが・・・

2階の寝室で川の字に寝ていた私たち家族はギュ~っと身を寄せ合い
テトさんを守るように抱えて
私はただひたすら揺れがおさまるまで
「わ~わ~」と言っていた記憶があります。

私たちの暮らす由仁町は 
震源地からたった20~30キロほどしか離れていない町でしたが
震度にしたら5~5強くらいでした。

でも深夜だったため 初動が遅れて
もしあのまま 2階が崩れて1階に落ちるようなことがあったら
私たちはどうなっていただろう…と思います。
揺れが起きている間に何かしようとか
どこかへ動いて移動する なんてことは
それなりに小さな地震で 自分たちが起きている時間でないと
無理なんだって思い知りました。

揺れが起きた直後に枕元の明かりをつけたけれど
すぐに消え 「あ 停電した・・・」と思ったので
揺れが収まった後も真っ暗の中 手さぐりで階段を下り
1階の台所まで行きました。

台所はミニソーラーシステムにつないである電球が2個あったので
電気をつけ 蓄電してあったので テレビにもつなぎ
震源地を確認しました。

地震が起きた時 私は震源地は東北なんじゃ?と一瞬思い
ここでこれだけ揺れたということは 今頃3・11より大きな被害が出てるんじゃ・・・と
ぞっとしつつテレビをつけたのですが
その震源地が北海道であったということで安心したのもつかの間
なんと震源地が隣の町安平町・厚真町だとわかり
びっくり!

これは大変。。。と思いつつも
まずは大きな余震が起るかも ということで
水道が出るのを確認後 お風呂に水をため
家の中の被害状況を確認しつつ 割れモノは隅に集め
ギャラリーの方も懐中電灯で確認し

片づけは明るくなってからで…ということで
割と冷静に寝室に戻りまた寝ました。




翌朝起きて
前日の台風の時からの停電で 
保育園もつれあいの仕事場もお休みだったので
連絡が来てその日も もちろんお休み・・・となり

私がバイトに行く予定だったトマト農家さん まるほり野菜園さんも
電話すると 「いや~もちろんお休みにして・・・笑」と言われて
家族で1日過ごすことに。


それから余震の方が大きかった熊本地震のことを思い出し
これ以上 器などが割れないように片づけ 
飲み水も貯め
食糧をチェックすると・・・ 

ありゃりゃ お米がない!
近所のスーパーに行くももちろん停電でお店は休み 食糧は買えず
困って友人に話すと 
去年田植えを手伝った友人が
その時のお米がまだ余っているから食べて~と分けてくれました。


冷蔵庫はソーラーシステムにはつなげないほど電気を食うので
なるべく開けないようにして
中の食糧ストックは結構あることはわかっていたし
野菜は夏で庭で色々育てているので 何とかかんとか3~4日は大丈夫だ。

車のガソリンも 2台あるうちの1台は満タンだったので
今あわててスタンドに並んでまで給油しなくてもいいや・・・

ということまで確認したら。。。

な~んだ
案外普通の生活を送っている我が家。

ガスはプロパンなので普通に使えたし
もともと トイレもくみ取りなので 流せないということもなく
何不自由なく
停電の不安も全く感じず
翌日の夕方には この町は通電したので

テレビの中で「停電が大変だ~ 不安だ~」と騒いでいることが
なんだか同じ道内とは思えず
不思議な感じでした。


もちろん冷蔵庫で食糧を冷やさなければならない 食べ物屋さんや商店などは
あとで聞けばダメになった食糧や売り物もたくさんで 大きな損害があったそうだし
電動の機械が必要な仕事をしていた方達や
病院などで電源がないと動かせない医療器具などで治療している患者さんにとっては
命にかかわることであり
あれだけ道内全体で停電が続いてしまうと
その損害や被害は甚大だったとは思います。


でも

停電したことで 普通の暮らしをしている人が
そこまで不安になるのもちょっと大げさな気がしたのも事実です。

考え方にちょっと融通が利いて 
普段の自分の暮らしの電気への依存度があとほんの少し低ければ
2~3日の停電はそれほど恐れることではないと思ったのです。

うちの大家さんなんて
停電してるなら…と日が暮れたらもう寝て
日が昇る頃に起きて仕事していたので
町に電気が戻ったことにすらしばらく気がつかなかったとか。笑



ただ そう思えたのも

まずは 
ここが田舎であったから
→コミュ二ティーがしっかり機能して お互い声を掛け合ったり 
助け合える関係性がちゃんとある
→田舎暮らしって いわゆるライフラインと 
そんなにつながってなくても大丈夫なんだな。。。と改めて思いました。
うちは電気ちょっとと 水道だけだもの。

そして
今回うちの町は水道が止まらなかったから
→全国ワーストワンの高い水道料金は最近町内の水道管を新しくする工事をしたから。
でもそのおかげで(?)今回水道管はやられなかったとか

そしてそして何よりも これが真冬でなかったから。。。
→これは考えると本当に恐ろしい。みな口を揃えて『冬でなくてよかったね~』
と言ってました。
おそらく吹雪いている時に同じ地震が起きたら
被害はさらに何倍にもなっていただろうし
我が家もこんなにのんびりはしてられなかったと思います。




というわけで 
水道が止まってたら・・・
真冬だったら・・・


どんな場合でも備えられるように 設備もチェックしつつ
準備も始めました。



飲み水は冷凍庫に必ず凍らせて入れておく。
反射板式で マッチでつけられるストーブも3台ある。
食糧は常に最低3日間くらいは用意しておく。
寝るときの枕元には靴を置いておく。。。。等々




これまで北海道の内陸の町は 
地震は起きないし 地震災害とは無縁のような気がして安心しきっていました。

だから地震のニュースが流れるたびに
やはりどこか対岸の火事として見ていた気がします。

でももう日本中どこにいても
地震は起きるし
台風は来るし。。。




そもそも

そもそもね・・・


人間が勝手に分析し 予測し
自然を理解した気になっているだけで
これまで大きな災害が起きるたびに
どれだけの被害が出るかなんて
正確にわからないで来ましたよね?



私たちは いつの間にか
全てをコントロールできるかのような気になっているんだって思います。


思い上がりもはなはだしい!



地球は生きていて
台地は揺れるもので
異常気象という言い方も
気象がいつも「異常でない」って思っているからそういう言い方をしているだけで
穏やかな気象の方が異常だって思えば
どんな自然現象だって 地球の大きな流れの中での普通の状況なんだもの。




そう思うと

穏やかで無事に1日を過ごせたことに
心から感謝します。

何か起きても
自然の中で生きているのだから それは仕方のないことなんだって
受け入れられる気もする。

もちろん 自分に大きな被害がなかったから言えることだって言われれば
それまでだけど・・・
(この地震でも亡くなった方もたくさんいらっしゃるし 
いまだに避難所にいる方もたくさんいることは承知したうえで
そういった方々のご苦労や不安を理解せずに感じていることでないことはご理解ください)


大きな自然災害って 
それを受け取る人間の考え方次第で
どこかにほんの少しは 悟れる境地もある気がするのです。


そして本当にここまで大きな災害が身近で起きたことで
思ったことは

東北の地震の時は

これに津波の被害
原発の事故
そしてその後の原発事故の影響から起きて 今なお続いているたくさんの被害・・・・・

どれだけ暮らしている 暮らしていた方達は苦しんだのだろう
そして今も苦しんでいるのだろう。。。ということ。


大きな災害を身近に感じて
初めて理解できた感覚や知ったこともありました。



地震からもうすでに1カ月経ったのに
結構 大きな余震は続いています。


揺れるたびに 一瞬 気持ちや体はぎゅって固まります。

でも だからって どこか地震の起きない外国に逃げるわけではないのなら
なんというか
腹をくくって 「う~む大丈夫!」って気持ちを落ち着かせ
揺れたらやるべきことを頭の隅にいつも置きながら
暮らして行くしかないのだろうな。



災害を恐れるのはなく
自らを自然の一部と認識し
自然の状況変化に対応できるような 
柔軟性や瞬発力を養っていたいものです。




長くなったので今回はここまで。


************************************


大きな災害は対岸の火事ではなく ③ も書くつもりです。


私には
地元関東の大学時代の友人で
東北の地震後  現地へボラに行ったり
NPO 法人まで立ち上げて 
今なお 現地で被災した方々に本当の意味で寄り添い
活動を続けている友人達がいるのですが

今回の地震後 心配してメールをくれて少しやり取りした中で
「マナちゃんの覚醒スイッチも入ったね」って言葉があって

?どういう意味だろ?って思っていたけれど

隣の町で地震が起きて
自分がいてもたってもいられず
ボランティアに行ったことで
友人の言っていた意味が少しわかった気がします。

次の記事はそんなこと含め
被災地へ行って感じたことなど書き残しておきます。


さ~今日は少し家のことと自分の工房のことやりましょう・・・ようやくか!って 笑




DSC_2795 (2)我が家のニャンコメンバーの光晴(みつはる)君
台風の3日前からずっといなくって 
台風が過ぎ去った後
あわてて帰って来て ご飯食べたらまたいなくなって
大きな地震が来て 
余震がおさまったころ帰ってきた子。



その後も大き目の余震がある時は
必ずと言っていいほど家にいない。。。

なのですっかり予知猫よばわり。

寝る前には 家族で必ず光晴が家にいるかどうかを
確かめるようになりました。笑


























プロフィール

工房ワタリガラス

北海道の由仁町という町でガラス工房をやっております。冬はガラス屋さん 春から秋まで小さなクラフト&アートのギャラリー(テトテト)の店主をやっております。        
息子(テトさん・ニックネーム)の子育て落ち着くまで こんなペースでお仕事変わります。日々の暮らしのあれやこれ 自分の作品や工房の事、Gallery teto² の裏話等々綴っております。
*ギャラリーの営業情報用 姉妹ブログ『Gallery teto² 』は下記のリンク集より飛んでお読みください。