自分で主催する講座のお知らせやら
その講座を開催しようと思い至るまでの簡単な経緯などを
始めて読む人にもわかりやすく書こうと
1日以上かけて書きましたよ。。。
(読んでくださった方もお疲れになったことでしょう。書き終わって自分で「ながいよ!」って突っ込んじゃいました)
大事な記事だったので
いつもより真面目に書きましたが
この先はもとのペースに戻ります 笑
でも ぶっちゃけ 本当に難しい。。。
だって、「野口整体」と言っても
きっといろんな人がいろいろな理解の仕方をしているだろうし
晴哉先生の御子息のあいだでも 理解の仕方や
今やっている指導の内容が全く違うのだもの。
私はそのほんの一部のことしか知らないのです。
こんなに適当なこと書いて!とお叱りを受けるのじゃないかとヒヤヒヤものです。
でも とにかく!!!
私がこれまで教えていただいた 私の理解している
野口整体の技術や稽古会で知り感じた感覚は
本当に素晴らしいものだと断言できます。
今の自分がその智慧に支えられて生きていると行っても過言ではないかも。
(もちろん わたしも いまだに病気になったり何か症状出るたびに
いろんな情報に翻弄され これだけで乗り切っているなんて偉そうに言えないけれど
でも確実に自分の身体を整える力になっていることだけは間違いないです)
もともと通っていた身体教育研究所の稽古会では
自分の体にこれまでなかった感覚を味わわせてくれ
日常の生活においても 他の人とのかかわりにおいても
自分自身の仕事(ガラス作家のほうね)においても
この稽古会を通して知った 新しい身体観がどれだけ自分を豊かにしてくれたか。。。
そして
活元運動や愉気は 自分や家族の体を健やかに保つのに何よりも役立っています。
愉気や活元運動で
病気や不調の症状がどんなふうに治ったか・・・という書き方をすると
きっと晴哉先生が治療目的の操法をしなくなった時のように
西洋医学的に対処療法と同じように考えて
病気を治す方法の一つと とらえ理解してしまう人も出てくるのかもしれない。
でも野口整体の技術は
我々それぞれがもともと持っている自然治癒力を引き出す技術であり
己の身体のことは己で感じ育てる
という姿勢がその根底にはあることが なにより大事なんだろうと思います。
それだけはしっかり伝えないといけないな。。。とも思っています。
きっとどんな技術を見聞きしても
受け取る側がどう理解するかなのでしょうね。
自分の体のこと 食べるもの 使うもの 自分の暮らす社会のこと
なんでも人任せにしない。
私はいつごろかそう気をつけるようになりました。
最近は 自分自身の思考や感情さえ 人任せな人が多い気がする。
誰かが怖いと言えば本質も見ずただ恐れたり
誰かがいいといえば鵜呑みにして疑いもしない。。。
流れてくる情報が 物事の側面のさらにほんの一部であることをわかっていたいし
自分が知っていること 人から聞いたこと 教えてもらってきたことも
全て
そのものの本質すべてではないということを心していたい。
でもそんな世界の中で 絶対に揺るがない本当がある。
それは己の身体の感覚。
熱いと感じたり 体が重たいと感じたり
やる気が出ないとか力がみなぎるとかも そうかも。
でも現代人は(もちろん私も含め)
自分の身体の感覚さえ凝り固まって
からだが動かなくなっているみたい。
そんな 唯一信じられる感覚を
自分の身体を育てることで磨いて行けたら…と思うのです。
動物は自分の身体の感覚しかないもんな。。。
うらやまし