4つほど前の投稿〈墓参り〉の続編


ここ最近 「忙しいので更新ままなりません・・・かも?!」 とお伝えしておりましたが
実は 忙しいだけが 記事を書けない理由ではなく

書いておかないと忘れちゃうので書かねばならぬこと があるのに
どう書いていいのか分からない
気持ちが全然まとまらない。。。


そんな気分だったもので・・・・・


でもこの先 ギャラリーが23日で終了し
吹きガラス再開の準備で本当にかなり多忙になるであろう時期を迎えてしまうと

おそらく胸の奥にしまってしまい
感じたことも
いつの間にやら忘れちゃうのでは・・・

そんな気もしたので
今日はまとまってなくても書き残しておこうと・・・


注:かなりだらだらと長い記事になりますので お暇な方のみお付き合いを




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吹きガラスの仕事を覚えるために 京都の山奥で暮らしていたのは 今から約18年前までのこと

その後 辞めてから1~2年後に
一度だけ師匠の暮らすその町へは行ったけれど

その後 過ぎ去った15~16年という歳月は 
久しぶりに訪れた風景のほとんどを 記憶の彼方へ吹き飛ばしてしまったようで
「なんとなく覚えているけれど こんなだったけ~?」と
4年も暮らした愛おしい景色に出会えると期待して行ったはずが
どこかよそよそしくさえ感じる 
少し寂しさを覚える旅になりました


自分が暮らしていた 京都の山奥の 
ボロボロだったけど素敵な日本家屋は もうそこにはなく
大家さんの息子さんの新築の家が建っていて
約束してなかったので まだご健在の大家さんの奥さんにも 間が悪く会えず
それもちょっぴり残念でした



私には 当時 師匠の工房で同時期にスタッフとして働いていた
二つ年下の友達がいるのですが
彼女とは今でもいろいろなつながりがあり
辞めた後もまめに連絡をとったり 彼女も5つになる男のお子さんがいる母親なので
先輩母としても友人としてもとっても頼りにしている人

その彼女が 3年ほど前 奈良から師匠の住む町の近くへ引っ越していたので
お互いの息子を会わせたかったし 
彼女も木さんをよく知っていて 私の墓参りにつきあうと言ってくれて
今回の関西の旅の間 初日を除いてずっと彼女の家にお世話になりました



木さんの息子さんから聞いた
散骨してほしいと木さんが言い遺した山は 京都の日本海側にある山

大人でも登るのに2時間はかかった記憶があったので
登山に慣れていないおばさん二人には 山登り(しかもチビさん連れ)は無理だろうから 
昔 私が木さんと登った登山口まで行って お参りすることにしようね・・・

そんな風に決めて車を走らせました




現地に着くと 地図では登山口はいくつもあるようで
どこから登ったのかも記憶になく
一番メジャーな登り口らしい場所へ行くも なんかピンとこない

ここでないような・・・

長いドライブに飽きた子供らをなだめるために
ふもとまで戻り コンビニで アイスを食べたりして休憩
その店で 私は木さんが好きだったエビスビールを
彼女はやはり木さんが好きだった和菓子を買い

また別の登山口へ

するとその登山口に近づくと
記憶の彼方へ消え去っていたはずの風景が
パズルのピースのように部分部分で思い出され  
欠けていた記憶が埋まっていく感じ

「あ!この木見たことある♪」「あ!そうそう こういう道を登って行った」


そして 登山口に着くと・・・
またもや不思議な感覚


「あれ? ここ 木さんと登った登山口だったかな…?」と 記憶に自信は全くないのに 
「でも絶対ここだ!」という 体が覚えているとでもいうのでしょうか 変な確信があり 

「そうだと思うんだけどな。。。違うかな。。。」
そう私がブツブツ言っていると

隣で
「そう思うならきっとここなんやない」

彼女のその言葉で確信も深まり
その場に車を置いて チビさん達の手を引いてほんのちょっとだけ登山



なんだか分からないチビさん達も
さっき買ったお参り用のおまんじゅうを あとでもらえるのがうれしくって
はしゃぎながら登ります 笑 




そして急勾配になるあたりで 足を止め
足元にお供え物を置き
彼女と二人で手を合わせました




空気は澄み渡り 静かな山奥で
でも 子供らはまわりでキャーキャーはしゃぎまわってる・・・・・

手を合わせて 
どう祈ろう・・・?
本当にこれでよかったのかな?・・・とちょっとためらっていると


またもや彼女が
「手放すように祈ってあげるといいんやって」 と隣で目をつむったままつぶやきました


「ぁ…ばればれや 笑」
心の中でそうつぶやいていた私





実は正直言うと その時まで 私には 
木さんが死んでしまったという実感はなかったのです

亡くなるまで 電話でやり取りしていたけれど 会わなくなって久しかったので
訃報を聞いた後も 本人がこの世にいないという実感はなかった

ただ連絡が取れないだけ 

そんな感じで木さんの死を受け止めていて
たびたび思い出しては 
悲しいというより
会ってないな。。。程度に思っていたのです

本当にこの世にいないことを
どこかで受け入れたくなかったのかもしれません




それを彼女は見事に見抜いていて・・・・・

「手放してあげるように」 
それは言いかえれば 
「いつまでも 木さんの死を受け入れてあげないと 木さんが天国へいけないよ」
そういう意味なんだろうな。。。


心して 目をつむって 二人で祈ること数分

不思議と合わせていた手が離れたので
隣を見ると 彼女も祈りを終えたところでした


彼女と来てよかったな


その後
チビさん達がお参り用のおまんじゅうを嬉しそうに食べ終わるのを 二人で笑いながら見守り

山頂の方をしばらく眺め
「次は山に登りに来るからね さようなら 木さん」

そう心の中で呟いて 車まで戻りました






下り坂なので 足元が危なっかしいチビさんの手を
わたしは自然と握り締めていて
 
祈った後に訪れた どうしようもない寂しさの中
握り返してくれるチビさんの小さな手のぬくもりが
本当に心強く 

悲しく心細いお参りになるところが
子供らの無邪気なはしゃぎっぷりに救われた感じ



あぁ チビさんと来てよかった。。。。。



ちゃんと母を守ってくれておりましたよ(男の子だね~♪)






木さんとは 

死に目にも会えなかったどころか 
お葬式にも出られなかった(やったのかどうかも不明)
遺言も 「散骨で お墓もいらない」ということだったので 


ずっとずっと 手放せなかった


でも きちんとお別れしたら
途端に寂しくなっちゃって

こちらに戻って来てからも

不思議なもので
もう亡くなって3年も経とうとしてるのに 今更ながら 悲しくって 悲しくって



木さんの死を受け入れたら
やっと悲しむ段階に入れたのかな。。。






 
2日前の夜
都合が合わず会えなかった大家さんの奥さんが 突然電話をくれて
いろいろ思い出して話していると
「あんた~そんなことも覚えとっちゃってんか~」 (そんなことも覚えているの~の意味 笑)
と 懐かしくって大好きな方言で話してくれて

涙が出るほど嬉しかった


たとえたびたび会えなくたって
やっぱり元気でこうして話せるということ
この世のどこかで生きていてくれるということ

それは 確かに 自分に力をくれる 今の自分を生かしてくれるなぁ。。。。。




木さんとの思い出は
確かに 今の私を支えてくれる大事なもの

でもそれはやはり思い出なのであって
生きているものではない



そう
木さんはもうこの世にいないんだ







「死」がなんなのか わたしには 正直まだわかりません


存在が目の前から消えることが悲しいもの? 寂しいもの?

でも 肉体が消えても 物理的には地球上に形を変えて存在するし
おそらく 木さんのように その存在が 誰かの心の中にずっと残ることもある



それでは 生きている時と何がちがうの?  



メメント・モリ(死を思え)という言葉があるけれど
木さんの死を通して

今まさに 自ら メメント・モリ






一つだけ言えることは

これまでもより強く
DSC_3284「生きていこう」

そう思っているということ





                                                関空からの長く長く続く道 空は真っ青でした