9月の間は ほんとうにいろんなことがあったのに ブログ書く時間もなくて
時間が経つと忘れていくことも多く
タイムラグありありですが
本日はまとめていろいろ更新しときます。




このタイトルの記事①を書いた日付は
まさに北海道で大きな地震が起きた翌朝でした。

我が家では ミニソーラーシステムがあったので
停電は関係なく パソコンも使えて 安否情報載せれて
道外の友人からは
「大丈夫だったのね~ブログとかフェイスブック見て安心したよ」と後で連絡もらいました。

その後
地震の前日の台風被害で抜けて倒れた庭の大木の話までは書いたような…

というわけでこの記事は主に地震のその後
この記事(こちら☆)の続きということになります。

*相変わらず長々書きますよ~。だって覚えておきたいこともあるから。




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2018年9月6日 深夜3時頃 
大きな揺れで目が覚め つれあいのスマホからは地震警報のアラームが・・・

2階の寝室で川の字に寝ていた私たち家族はギュ~っと身を寄せ合い
テトさんを守るように抱えて
私はただひたすら揺れがおさまるまで
「わ~わ~」と言っていた記憶があります。

私たちの暮らす由仁町は 
震源地からたった20~30キロほどしか離れていない町でしたが
震度にしたら5~5強くらいでした。

でも深夜だったため 初動が遅れて
もしあのまま 2階が崩れて1階に落ちるようなことがあったら
私たちはどうなっていただろう…と思います。
揺れが起きている間に何かしようとか
どこかへ動いて移動する なんてことは
それなりに小さな地震で 自分たちが起きている時間でないと
無理なんだって思い知りました。

揺れが起きた直後に枕元の明かりをつけたけれど
すぐに消え 「あ 停電した・・・」と思ったので
揺れが収まった後も真っ暗の中 手さぐりで階段を下り
1階の台所まで行きました。

台所はミニソーラーシステムにつないである電球が2個あったので
電気をつけ 蓄電してあったので テレビにもつなぎ
震源地を確認しました。

地震が起きた時 私は震源地は東北なんじゃ?と一瞬思い
ここでこれだけ揺れたということは 今頃3・11より大きな被害が出てるんじゃ・・・と
ぞっとしつつテレビをつけたのですが
その震源地が北海道であったということで安心したのもつかの間
なんと震源地が隣の町安平町・厚真町だとわかり
びっくり!

これは大変。。。と思いつつも
まずは大きな余震が起るかも ということで
水道が出るのを確認後 お風呂に水をため
家の中の被害状況を確認しつつ 割れモノは隅に集め
ギャラリーの方も懐中電灯で確認し

片づけは明るくなってからで…ということで
割と冷静に寝室に戻りまた寝ました。




翌朝起きて
前日の台風の時からの停電で 
保育園もつれあいの仕事場もお休みだったので
連絡が来てその日も もちろんお休み・・・となり

私がバイトに行く予定だったトマト農家さん まるほり野菜園さんも
電話すると 「いや~もちろんお休みにして・・・笑」と言われて
家族で1日過ごすことに。


それから余震の方が大きかった熊本地震のことを思い出し
これ以上 器などが割れないように片づけ 
飲み水も貯め
食糧をチェックすると・・・ 

ありゃりゃ お米がない!
近所のスーパーに行くももちろん停電でお店は休み 食糧は買えず
困って友人に話すと 
去年田植えを手伝った友人が
その時のお米がまだ余っているから食べて~と分けてくれました。


冷蔵庫はソーラーシステムにはつなげないほど電気を食うので
なるべく開けないようにして
中の食糧ストックは結構あることはわかっていたし
野菜は夏で庭で色々育てているので 何とかかんとか3~4日は大丈夫だ。

車のガソリンも 2台あるうちの1台は満タンだったので
今あわててスタンドに並んでまで給油しなくてもいいや・・・

ということまで確認したら。。。

な~んだ
案外普通の生活を送っている我が家。

ガスはプロパンなので普通に使えたし
もともと トイレもくみ取りなので 流せないということもなく
何不自由なく
停電の不安も全く感じず
翌日の夕方には この町は通電したので

テレビの中で「停電が大変だ~ 不安だ~」と騒いでいることが
なんだか同じ道内とは思えず
不思議な感じでした。


もちろん冷蔵庫で食糧を冷やさなければならない 食べ物屋さんや商店などは
あとで聞けばダメになった食糧や売り物もたくさんで 大きな損害があったそうだし
電動の機械が必要な仕事をしていた方達や
病院などで電源がないと動かせない医療器具などで治療している患者さんにとっては
命にかかわることであり
あれだけ道内全体で停電が続いてしまうと
その損害や被害は甚大だったとは思います。


でも

停電したことで 普通の暮らしをしている人が
そこまで不安になるのもちょっと大げさな気がしたのも事実です。

考え方にちょっと融通が利いて 
普段の自分の暮らしの電気への依存度があとほんの少し低ければ
2~3日の停電はそれほど恐れることではないと思ったのです。

うちの大家さんなんて
停電してるなら…と日が暮れたらもう寝て
日が昇る頃に起きて仕事していたので
町に電気が戻ったことにすらしばらく気がつかなかったとか。笑



ただ そう思えたのも

まずは 
ここが田舎であったから
→コミュ二ティーがしっかり機能して お互い声を掛け合ったり 
助け合える関係性がちゃんとある
→田舎暮らしって いわゆるライフラインと 
そんなにつながってなくても大丈夫なんだな。。。と改めて思いました。
うちは電気ちょっとと 水道だけだもの。

そして
今回うちの町は水道が止まらなかったから
→全国ワーストワンの高い水道料金は最近町内の水道管を新しくする工事をしたから。
でもそのおかげで(?)今回水道管はやられなかったとか

そしてそして何よりも これが真冬でなかったから。。。
→これは考えると本当に恐ろしい。みな口を揃えて『冬でなくてよかったね~』
と言ってました。
おそらく吹雪いている時に同じ地震が起きたら
被害はさらに何倍にもなっていただろうし
我が家もこんなにのんびりはしてられなかったと思います。




というわけで 
水道が止まってたら・・・
真冬だったら・・・


どんな場合でも備えられるように 設備もチェックしつつ
準備も始めました。



飲み水は冷凍庫に必ず凍らせて入れておく。
反射板式で マッチでつけられるストーブも3台ある。
食糧は常に最低3日間くらいは用意しておく。
寝るときの枕元には靴を置いておく。。。。等々




これまで北海道の内陸の町は 
地震は起きないし 地震災害とは無縁のような気がして安心しきっていました。

だから地震のニュースが流れるたびに
やはりどこか対岸の火事として見ていた気がします。

でももう日本中どこにいても
地震は起きるし
台風は来るし。。。




そもそも

そもそもね・・・


人間が勝手に分析し 予測し
自然を理解した気になっているだけで
これまで大きな災害が起きるたびに
どれだけの被害が出るかなんて
正確にわからないで来ましたよね?



私たちは いつの間にか
全てをコントロールできるかのような気になっているんだって思います。


思い上がりもはなはだしい!



地球は生きていて
台地は揺れるもので
異常気象という言い方も
気象がいつも「異常でない」って思っているからそういう言い方をしているだけで
穏やかな気象の方が異常だって思えば
どんな自然現象だって 地球の大きな流れの中での普通の状況なんだもの。




そう思うと

穏やかで無事に1日を過ごせたことに
心から感謝します。

何か起きても
自然の中で生きているのだから それは仕方のないことなんだって
受け入れられる気もする。

もちろん 自分に大きな被害がなかったから言えることだって言われれば
それまでだけど・・・
(この地震でも亡くなった方もたくさんいらっしゃるし 
いまだに避難所にいる方もたくさんいることは承知したうえで
そういった方々のご苦労や不安を理解せずに感じていることでないことはご理解ください)


大きな自然災害って 
それを受け取る人間の考え方次第で
どこかにほんの少しは 悟れる境地もある気がするのです。


そして本当にここまで大きな災害が身近で起きたことで
思ったことは

東北の地震の時は

これに津波の被害
原発の事故
そしてその後の原発事故の影響から起きて 今なお続いているたくさんの被害・・・・・

どれだけ暮らしている 暮らしていた方達は苦しんだのだろう
そして今も苦しんでいるのだろう。。。ということ。


大きな災害を身近に感じて
初めて理解できた感覚や知ったこともありました。



地震からもうすでに1カ月経ったのに
結構 大きな余震は続いています。


揺れるたびに 一瞬 気持ちや体はぎゅって固まります。

でも だからって どこか地震の起きない外国に逃げるわけではないのなら
なんというか
腹をくくって 「う~む大丈夫!」って気持ちを落ち着かせ
揺れたらやるべきことを頭の隅にいつも置きながら
暮らして行くしかないのだろうな。



災害を恐れるのはなく
自らを自然の一部と認識し
自然の状況変化に対応できるような 
柔軟性や瞬発力を養っていたいものです。




長くなったので今回はここまで。


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大きな災害は対岸の火事ではなく ③ も書くつもりです。


私には
地元関東の大学時代の友人で
東北の地震後  現地へボラに行ったり
NPO 法人まで立ち上げて 
今なお 現地で被災した方々に本当の意味で寄り添い
活動を続けている友人達がいるのですが

今回の地震後 心配してメールをくれて少しやり取りした中で
「マナちゃんの覚醒スイッチも入ったね」って言葉があって

?どういう意味だろ?って思っていたけれど

隣の町で地震が起きて
自分がいてもたってもいられず
ボランティアに行ったことで
友人の言っていた意味が少しわかった気がします。

次の記事はそんなこと含め
被災地へ行って感じたことなど書き残しておきます。


さ~今日は少し家のことと自分の工房のことやりましょう・・・ようやくか!って 笑




DSC_2795 (2)我が家のニャンコメンバーの光晴(みつはる)君
台風の3日前からずっといなくって 
台風が過ぎ去った後
あわてて帰って来て ご飯食べたらまたいなくなって
大きな地震が来て 
余震がおさまったころ帰ってきた子。



その後も大き目の余震がある時は
必ずと言っていいほど家にいない。。。

なのですっかり予知猫よばわり。

寝る前には 家族で必ず光晴が家にいるかどうかを
確かめるようになりました。笑