由仁町 工房ワタリガラス 日々のあれこれ   

                                                                                        北海道の由仁町にある小さなガラス工房と小さなギャラリー                                                                 日々の暮らしの中でささやかだけど幸せをくれる                                                          そんな丁寧に作られた器やクラフト雑貨・アート作品を作家の手からあなたの手へ

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大きな災害は対岸の火事ではなく ④ ボランティアに行ってみたpart2

さて、このタイトルの続編④です。

ボランティアに行ってみた③(こちらの記事)の続きで
翌週にも やはり平日の日中 もう1日だけボランティアに出かけました。

FBで被災地のボランティアの情報が流れて来ていたので

安平町(前回の場所)だけでなく さらにそのお隣の厚真町も調べてみると・・・
そちらの方がなんとなく人手が足りなさそうだったので
2回目は厚真町へ。

今回は由仁に住む作家仲間の友人(女性)も一緒に行きたいと言ってくれて
2人で現地へ。

厚真町は安平町よりさらに震源に近く
ボラセンにたどりつくまでに通った道は以前とは様相が全く変わってしまっていて
土砂が一度道路を埋めつくしたのであろう災害の爪跡が所々に残ってました。

ボラセンにつくと
安平町と同じようにボランティア登録後 説明を聞き
仕事を割り振られます。

トラックともう1台の車に乗り 災害ゴミを運ぶお手伝い。
トラック運転できる人とその助手で男性の方で割り振りがあり
別の場所で女性の方でも「グループで3人くらいの方~?」と声がかかり
友人と私と隣にいた女性の3人で挙手!

そして男性の運転手グループのお二人とマッチング。
5名のグループが出来ました。

するとなんと!
その男性のお一人が15年来の知人で
「あ!マナさんでしょ?」と言われ 最初私は思い出せず・・・「?」となってましたが
しばらくして「あ~~~~~!」と大声を上げて思い出しました。 
札幌で小さなカフェをやっている人で
15年ほど前に別の友人に紹介され知りあった方だったのです。
でもそれ以来ず~っと会ってなかったひと。

何とも奇遇な再会。

こんなところで しかも かなりな人数がいるのにまさか同じチームになるとは。。。

びっくりです。笑



そんな驚きとともに始まり 午前中は町中で作業。
そして午後は報道でも何度も出ていた吉野地区という土砂崩れの現場へ。

土砂にのまれず残っていたおうちの方の引越しの手伝い。

きれいな2階建ての1軒屋。
おじいさんとおばあさんが住んでいたけれど
この先はもういつ土砂が崩れるかわからないので 町中への引越し。
その際にいらないものを処分するのでその廃棄を手伝いました。

このお手伝いに関しては
いろいろ複雑な気持ちになることが多かったです。

被災した方は一刻も早くここを出なければならず
同じ集落の方の中には家も流され 
亡くなった方もたくさん出た地区だったので
残すもの 持っていくものをゆっくり吟味している
時間も気持ちの余裕もなかったのだと思います。

なので使えるものも新品のものさえも
全てゴミとして出されて
本当に最小限の日用品だけ持って行かれたようでした。


一緒に行った友人も私も
普段 物を大事にする生活を当たり前にしているので
新品の服なんかがそのまま袋ごと捨てるのを手伝うのは
本当につらく
でも被災した方の気持ちを思うと何も言えず
何度も災害ゴミを集める場所と現地を往復する中で
言葉を飲み込みました。


こういう時だから言うべきじゃないけれど
でもやはり 思わずにおれませんでした。

まだ全く普通に使えるものを
ただ捨てるだけではない
うまく再利用や別の方法で生まれ変わらせたりは出来なものなのだろうか…?

でもそれを口に出せないのは
やはり災害を受けて 普段の暮らしをすべて奪われた人たちに
そういう提案をこちらからするのは 
傷ついている所に余計な判断を迫ることにもなりかねず
気が引けてします。

わかってはいても
仕方ないよ。。。と素敵な古い家具とかがガンガン投げられ壊されていく様を
指をくわえて見ているしかない自分に なんだか腹さえ立ってきました。


とこんな複雑な気持ちを抱きつつ2回目のボラは終了。

一緒に行った友人も初めてのボラで
私が一回目に行った後 いろいろ情報をFBで流していたおかげで
自分もボラに行ってみようという気になったし来ることができた
と言ってくれて
少しは役に立てたかな。。。と嬉しかったです。


さてこの記事は実はまだ続きます。
この災害ゴミを捨てるお手伝いボラをした後の複雑な気持ちを
ある友人が違う形で救いあげてくれる取り組みを始めたのです。

そのお話はまた後日 ⑤で。

そして
ボランティアとは 支援とは・・・これについてもいろいろ思うことがありました。
こちらもそのうち追記を書きます。


このボラに行った後
平日のボランティアは終了になり
土日のみのボランティア募集になりました。

その後は自分も忙しく行けてません。
今は仮設住宅がそろそろでき始めるので 
そこへの引越しのお手伝いを週末募集しているようでした。

また場所によっては傾聴ボランティアや
本格的な冬を迎える前に 出荷が滞っている農家さんの農家ボランティア募集してました。

避難所にはまだ100人近い人が残っているのに
自衛隊の炊き出しは10月中旬で終了。
なのでボランティアさん達が今も各地で炊き出しを続けています。

私を含め長沼の何人かの友人で作っているチームやんじー長沼中継地区では
やんじーが毎週末 年末まで続ける炊き出しの食材集めを続けます。

つまり、まだまだ現地では困っている人はたくさんいます。

もしお時間ある方はぜひ安平町・厚真町・鵡川町の
ボランティアセンターの投稿などをFBでチェックして
行かれてみてはどうでしょう。

私は今後はもっぱら募金集め。
そしてその支援金をいくつかの炊き出しチームに募金します。
そして店が終了したら
自分の作品作りで今度は募金が作れる作品をガンガン作ろうと思ってます。




ではでは
興味ある方は追記も書くので読んでもらえると幸いです。













いろいろあるけど謙虚に謙虚に

ここ2カ月ほど いろんな人の所に行ってお手伝いしたりして
普段より断然人と触れ合う機会が多い。

いつも気をつけてはいても
言葉や言動で知らぬ間に相手を傷つけていたりするかもしれない。

その逆もしかり。


余裕がある時は・・・
自分の考えていることや感じたことの中に エゴが潜んでいると・・・
自然に自分が使っている言葉で
自分本位か他人を尊重しているかに気がつくことができるけれど

余裕がなくなってきたり調子に乗っていると・・・
エゴから生まれた考えや言動だってことにすら気がつかない・・・(T_T)


いやな気分にさせられた時も
振り返ると 自分自身がまいた種ってこともある。


ちょっと気持ちがモヤモヤすることが続いて
なんでこんな厭な気分なんだろ~って考えて
やっぱり少し調子に乗っている自分を発見しちゃう。

謙虚に謙虚に。


でもこういう思いをしたくないからって
人と交わるのもセーブしよう。。。とはなりたくない。


自分にできること
出来ないこと
気を使うべきことろ
自分のやることに集中して・・・

いろいろ
きちんと見極めて

はい。謙虚に!


笑 
詳しいこと書かないと何のことやらですが・・・

自省の意味を込めてのメモ書きでした~。











大きな災害は対岸の火事ではなく ③ ボランティアに行ってみた編

昨晩 寝る前にちょっとモヤモヤすることを聞いてしまって
明け方目が覚めたら 考え事で眠れなくなっちゃいました。。。

で このブログ。

私にとっては今や自分の気持ちの整理に欠かせないアイテムがこのブログ。

人に読まれるためのブログというよりは
過去に自分が何をして どう感じて そこから何を学んだか…の足跡が
文字として残っていると 
たまに読み返した時に その時の自分との違いから
自分の成長や 変わらない価値観が見えてくるから書いてます。

長くなるのはご愛嬌。(今回も長いよ~)
お暇な方のみお付き合いを。笑





②からの続きですが・・・

今回 自分もある意味被災者と言っていい災害が 自分の暮らす町や近隣の町で起き
『今自分は何をすべきか?』と自分に問うた時
幸い 自分の家族も家もほぼ損害がなく 友人たちも無事だったので
自分の動揺がおさまるのを感じ始めた震災後1週間後位に
ボランティアに行ってみよう!そう思い立ちました。

FBでボランティア募集の情報が流れていたので 一番近い安平町に行くことに。
その時FBでは「住宅内の清掃」のボラも募集していたので
これならやれると思い そのボラの登録サイトに登録。 

そしてまず 町の福祉協議会というところでボランティア保険*に加入。
(*これは災害ボランティアをする際に必要な保険で加入に¥500かかります。
一度入るとその後は加入証明書みたいなカードを持っていればいつでもどこでもボラには行けます。
逆にないと ボラ先で事故に巻き込まれた時など保険が利かないので
ボラに行く人は必ず入って来るように言われます。
住んでいる市町村の社会福祉協議会というところで加入手続き出来ます)


土日は店があったので さらにその翌週
お隣の安平町のボランティアに参加してきました。

朝9時頃家から車で40分ほどのボランティアセンターに到着し
手続きを済ませ 
自分がどこの町のなんという名前かを書いたでっかいシールを服に張り付け
ボランティアの仕事の振り分け説明を聞きました。
集まっているのは200名くらいでしょうか?
みなさんの胸のシールを見ると 道内各地はもちろん本州の方も結構いらして
沖縄からの方もいてびっくり!!!
なんかありがたくって涙でそうでした。

「○○の仕事があります。やれそうな人~?」とセンターの人が呼び掛けるたびに
『はい!』と手を挙げて 自分が参加する仕事の説明を聞きに集まります。

最初は
「力仕事なので出来れば男性」とか
「ボランティア経験者の方~?」という呼びかけで
自分がやれる仕事はあるのかしらん?とぼんやり待っていたら
どんどん人が少なくなって 残っていた人達で 6人程度のグループが3つほど作られ
その単位で動くことに。

私たちのチームの仕事は 2トントラックの後ろを ハイエースに乗り込みついて行って
町の各地にある災害ゴミをトラックに載せること。

でも結局依頼のあった場所へ行くと
とても2トントラックには乗せられない大きさのトタン屋根だったり
クレーン車がないと持ち上げられない大きな石像の土台だったり・・・

それであきらめてセンターに戻り
次の仕事を振り分けられるのを待つこと1時間ほど・・・
「センター横の子供園で子供たちと遊んであげてください」
(先生の中には被災して園に来れない先生もいるそうで 遊んでくれる大人が足りない)と言われ
子供たちと30分ほど戯れ そしてお昼。

✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀

ボラセンの方達も 細やかに指示してくださるけれど
やはり現場は混乱してるんだな。。。というのが素直な感想。 
こういう待ち時間も出来ちゃうし
仕事を言われて現場に行っても素人ではどうにもならない仕事だったり・・・

せっかく自分の予定を1日開けて ボラに行くからには 
時間目いっぱいボランティアしたい!
そういう気持ちがなかったわけではないので
ちょっと肩すかし。

でも

余震もまだまだ続いて混乱する中 
自分たちも被災しているのに 
これだけたくさんのボラの人たちを束ね 仕事を割り振るするのも大変だし
待ち時間の間 
いろいろ片づけてほしい住民の人がセンターにやって来て 苦情を言っているのを
丁寧に聞いているセンターの人を見ていたら

待ち時間を気持ちよく待ってあげるのもボラの務めだわな。。。と反省。


そして持参のお弁当を食べた後は
午前中のメンバー3人と別のお仕事。

今度は町に出されたゴミの運搬仕事。

配属された追分地区は 一見それほど被害がないように見えて
住宅地は至るところ道路が陥没していて通行止めがあったり
住宅の花壇やブロック塀はことごとく倒れ崩れていて・・・・・

そして各家々の前には大量の災害ゴミ。
家の中はぐちゃぐちゃになるほど 揺れたそうで
割れた食器やガラスも含め倒れて壊れた家具などが山盛りに出されていました。

そういう災害ゴミは後日まとめて収集するので
家の前にのみ出すようにアナウンスしていても
普段一般ごみを出すごみステーションにも 
そういった災害ゴミを出している人がたくさんいて
そのままだと普通のゴミが収集できなくなるので
ごみステーションを回って 出されている災害ゴミを収集して回りました。
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photo:安平ボランティアセンター



午前中一緒に仕事したメンバーに加え 
午前もこの仕事をした若いお兄さんとボラセンの人で5人チームが出来上がり
あとトラックの運転をしてくれる産廃業者さん2人の7人で
ひたすら追分地区のごみステーションを回り 災害ゴミをトラックの荷台に積み上げるお仕事。

ボラセンの方のお話では その日1日で
158あるごみステーションのうち56のステーションがきれいになったとか。
でもまだ3分の2残ってるし
午前に同じ仕事ししていたボラのお兄さんが言うには
さっき収集したステーションに午後またごみが捨てられてますね~。。。とのこと。

まだ住民にアナウンスが行きとどいてないようで
この仕事も片付くのはまだまだ先になりそうな・・・

またごみの出し方もアナウンスがされていないため
割れたガラスや食器がビニール袋から突き出ていたり 
運びやすいように紐で縛ってあるものが少なかったり
災害ゴミとはいえない 断捨離のようなゴミまで出ていたり・・・
まだ全然使える家具がごみに出ていたり。。。


被災された方々を責めている意味ではなく
あれだけ大きな地震が起きると 家の中がぐちゃぐちゃで
まずはそれを片づけないことには暮らせないわけで

そうなると ごみの捨て方も自然と乱雑になるし
まだ使えるものも その被害の大きさを感じさせるような傷が残っていれば
見えないところへ処分したい心理があるのかもしれないな。。。と

もったいないな…とか危ないな…とか思うたびに
被災者の方達の家の中を想像して
複雑な気持ちになりながらの作業でした。

時間にしたら 1時から5時くらいまで。
結構危険なごみもあり こういう作業は軍手でなく皮手の方がいいかも。

お昼は持参が基本ですが 
炊き出しの方たちがボランティアの人たちの分も作ってくれていることもあるそうで
そういうお昼をいただいたり 
現地で営業再開しているレストランやコンビニでお昼を済ますのも
支援になるんだな…と知りました。

あと自分の荷物は基本持参して作業するので
リュックに入れて持ち歩きが基本でした。
我々は乗っていた車に荷物載せてました。


安平町は
ボラセンの仕事の割り振りが早い方で
町民のニーズを確認するために 全戸を訪問して二ーズを聞いて回り
それに添って動く という中越地震でのノウハウを伝授してもらってやっていたそうです。

さらにその隣の厚真町では
被災者の災害支援金の登録手続き等を先にしたそうで
安平町ではそれを不満に思う人もいて
ボラセンの方々に苦情が寄せられ
そういう復興への取り組みのやり方についてもご苦労なさっていると聞きました。

各市町村によっても細かなやり方が違うのですね。。。



はたと思い浮かんだのが・・・
うちの町はこういう時 どう動くか決まっているんだろうか?
ボランティアの人が来たら誰が仕切るんだろう?という素朴な疑問。

そして もし自分の町が被災したら・・・
自分自身も 何をすればいいんだろ~ 
何ができるんだろう。。。




ボラ初日は終了。



長くなったのでボランティアに行ってみた編 Part1はここでおしまい。

ボランティアに行ってみた編 Part2に続きます。


DSC_1340
                            ボラを終えて帰るときに自衛隊のヘリが着陸するのに遭遇
                     ヘリを間近で見たの初めて。
                        大きいんですね。。。

                    自衛隊の方々にも本当に感謝です。





















大きな災害は対岸の火事ではなく ②

9月の間は ほんとうにいろんなことがあったのに ブログ書く時間もなくて
時間が経つと忘れていくことも多く
タイムラグありありですが
本日はまとめていろいろ更新しときます。




このタイトルの記事①を書いた日付は
まさに北海道で大きな地震が起きた翌朝でした。

我が家では ミニソーラーシステムがあったので
停電は関係なく パソコンも使えて 安否情報載せれて
道外の友人からは
「大丈夫だったのね~ブログとかフェイスブック見て安心したよ」と後で連絡もらいました。

その後
地震の前日の台風被害で抜けて倒れた庭の大木の話までは書いたような…

というわけでこの記事は主に地震のその後
この記事(こちら☆)の続きということになります。

*相変わらず長々書きますよ~。だって覚えておきたいこともあるから。




***********************************




2018年9月6日 深夜3時頃 
大きな揺れで目が覚め つれあいのスマホからは地震警報のアラームが・・・

2階の寝室で川の字に寝ていた私たち家族はギュ~っと身を寄せ合い
テトさんを守るように抱えて
私はただひたすら揺れがおさまるまで
「わ~わ~」と言っていた記憶があります。

私たちの暮らす由仁町は 
震源地からたった20~30キロほどしか離れていない町でしたが
震度にしたら5~5強くらいでした。

でも深夜だったため 初動が遅れて
もしあのまま 2階が崩れて1階に落ちるようなことがあったら
私たちはどうなっていただろう…と思います。
揺れが起きている間に何かしようとか
どこかへ動いて移動する なんてことは
それなりに小さな地震で 自分たちが起きている時間でないと
無理なんだって思い知りました。

揺れが起きた直後に枕元の明かりをつけたけれど
すぐに消え 「あ 停電した・・・」と思ったので
揺れが収まった後も真っ暗の中 手さぐりで階段を下り
1階の台所まで行きました。

台所はミニソーラーシステムにつないである電球が2個あったので
電気をつけ 蓄電してあったので テレビにもつなぎ
震源地を確認しました。

地震が起きた時 私は震源地は東北なんじゃ?と一瞬思い
ここでこれだけ揺れたということは 今頃3・11より大きな被害が出てるんじゃ・・・と
ぞっとしつつテレビをつけたのですが
その震源地が北海道であったということで安心したのもつかの間
なんと震源地が隣の町安平町・厚真町だとわかり
びっくり!

これは大変。。。と思いつつも
まずは大きな余震が起るかも ということで
水道が出るのを確認後 お風呂に水をため
家の中の被害状況を確認しつつ 割れモノは隅に集め
ギャラリーの方も懐中電灯で確認し

片づけは明るくなってからで…ということで
割と冷静に寝室に戻りまた寝ました。




翌朝起きて
前日の台風の時からの停電で 
保育園もつれあいの仕事場もお休みだったので
連絡が来てその日も もちろんお休み・・・となり

私がバイトに行く予定だったトマト農家さん まるほり野菜園さんも
電話すると 「いや~もちろんお休みにして・・・笑」と言われて
家族で1日過ごすことに。


それから余震の方が大きかった熊本地震のことを思い出し
これ以上 器などが割れないように片づけ 
飲み水も貯め
食糧をチェックすると・・・ 

ありゃりゃ お米がない!
近所のスーパーに行くももちろん停電でお店は休み 食糧は買えず
困って友人に話すと 
去年田植えを手伝った友人が
その時のお米がまだ余っているから食べて~と分けてくれました。


冷蔵庫はソーラーシステムにはつなげないほど電気を食うので
なるべく開けないようにして
中の食糧ストックは結構あることはわかっていたし
野菜は夏で庭で色々育てているので 何とかかんとか3~4日は大丈夫だ。

車のガソリンも 2台あるうちの1台は満タンだったので
今あわててスタンドに並んでまで給油しなくてもいいや・・・

ということまで確認したら。。。

な~んだ
案外普通の生活を送っている我が家。

ガスはプロパンなので普通に使えたし
もともと トイレもくみ取りなので 流せないということもなく
何不自由なく
停電の不安も全く感じず
翌日の夕方には この町は通電したので

テレビの中で「停電が大変だ~ 不安だ~」と騒いでいることが
なんだか同じ道内とは思えず
不思議な感じでした。


もちろん冷蔵庫で食糧を冷やさなければならない 食べ物屋さんや商店などは
あとで聞けばダメになった食糧や売り物もたくさんで 大きな損害があったそうだし
電動の機械が必要な仕事をしていた方達や
病院などで電源がないと動かせない医療器具などで治療している患者さんにとっては
命にかかわることであり
あれだけ道内全体で停電が続いてしまうと
その損害や被害は甚大だったとは思います。


でも

停電したことで 普通の暮らしをしている人が
そこまで不安になるのもちょっと大げさな気がしたのも事実です。

考え方にちょっと融通が利いて 
普段の自分の暮らしの電気への依存度があとほんの少し低ければ
2~3日の停電はそれほど恐れることではないと思ったのです。

うちの大家さんなんて
停電してるなら…と日が暮れたらもう寝て
日が昇る頃に起きて仕事していたので
町に電気が戻ったことにすらしばらく気がつかなかったとか。笑



ただ そう思えたのも

まずは 
ここが田舎であったから
→コミュ二ティーがしっかり機能して お互い声を掛け合ったり 
助け合える関係性がちゃんとある
→田舎暮らしって いわゆるライフラインと 
そんなにつながってなくても大丈夫なんだな。。。と改めて思いました。
うちは電気ちょっとと 水道だけだもの。

そして
今回うちの町は水道が止まらなかったから
→全国ワーストワンの高い水道料金は最近町内の水道管を新しくする工事をしたから。
でもそのおかげで(?)今回水道管はやられなかったとか

そしてそして何よりも これが真冬でなかったから。。。
→これは考えると本当に恐ろしい。みな口を揃えて『冬でなくてよかったね~』
と言ってました。
おそらく吹雪いている時に同じ地震が起きたら
被害はさらに何倍にもなっていただろうし
我が家もこんなにのんびりはしてられなかったと思います。




というわけで 
水道が止まってたら・・・
真冬だったら・・・


どんな場合でも備えられるように 設備もチェックしつつ
準備も始めました。



飲み水は冷凍庫に必ず凍らせて入れておく。
反射板式で マッチでつけられるストーブも3台ある。
食糧は常に最低3日間くらいは用意しておく。
寝るときの枕元には靴を置いておく。。。。等々




これまで北海道の内陸の町は 
地震は起きないし 地震災害とは無縁のような気がして安心しきっていました。

だから地震のニュースが流れるたびに
やはりどこか対岸の火事として見ていた気がします。

でももう日本中どこにいても
地震は起きるし
台風は来るし。。。




そもそも

そもそもね・・・


人間が勝手に分析し 予測し
自然を理解した気になっているだけで
これまで大きな災害が起きるたびに
どれだけの被害が出るかなんて
正確にわからないで来ましたよね?



私たちは いつの間にか
全てをコントロールできるかのような気になっているんだって思います。


思い上がりもはなはだしい!



地球は生きていて
台地は揺れるもので
異常気象という言い方も
気象がいつも「異常でない」って思っているからそういう言い方をしているだけで
穏やかな気象の方が異常だって思えば
どんな自然現象だって 地球の大きな流れの中での普通の状況なんだもの。




そう思うと

穏やかで無事に1日を過ごせたことに
心から感謝します。

何か起きても
自然の中で生きているのだから それは仕方のないことなんだって
受け入れられる気もする。

もちろん 自分に大きな被害がなかったから言えることだって言われれば
それまでだけど・・・
(この地震でも亡くなった方もたくさんいらっしゃるし 
いまだに避難所にいる方もたくさんいることは承知したうえで
そういった方々のご苦労や不安を理解せずに感じていることでないことはご理解ください)


大きな自然災害って 
それを受け取る人間の考え方次第で
どこかにほんの少しは 悟れる境地もある気がするのです。


そして本当にここまで大きな災害が身近で起きたことで
思ったことは

東北の地震の時は

これに津波の被害
原発の事故
そしてその後の原発事故の影響から起きて 今なお続いているたくさんの被害・・・・・

どれだけ暮らしている 暮らしていた方達は苦しんだのだろう
そして今も苦しんでいるのだろう。。。ということ。


大きな災害を身近に感じて
初めて理解できた感覚や知ったこともありました。



地震からもうすでに1カ月経ったのに
結構 大きな余震は続いています。


揺れるたびに 一瞬 気持ちや体はぎゅって固まります。

でも だからって どこか地震の起きない外国に逃げるわけではないのなら
なんというか
腹をくくって 「う~む大丈夫!」って気持ちを落ち着かせ
揺れたらやるべきことを頭の隅にいつも置きながら
暮らして行くしかないのだろうな。



災害を恐れるのはなく
自らを自然の一部と認識し
自然の状況変化に対応できるような 
柔軟性や瞬発力を養っていたいものです。




長くなったので今回はここまで。


************************************


大きな災害は対岸の火事ではなく ③ も書くつもりです。


私には
地元関東の大学時代の友人で
東北の地震後  現地へボラに行ったり
NPO 法人まで立ち上げて 
今なお 現地で被災した方々に本当の意味で寄り添い
活動を続けている友人達がいるのですが

今回の地震後 心配してメールをくれて少しやり取りした中で
「マナちゃんの覚醒スイッチも入ったね」って言葉があって

?どういう意味だろ?って思っていたけれど

隣の町で地震が起きて
自分がいてもたってもいられず
ボランティアに行ったことで
友人の言っていた意味が少しわかった気がします。

次の記事はそんなこと含め
被災地へ行って感じたことなど書き残しておきます。


さ~今日は少し家のことと自分の工房のことやりましょう・・・ようやくか!って 笑




DSC_2795 (2)我が家のニャンコメンバーの光晴(みつはる)君
台風の3日前からずっといなくって 
台風が過ぎ去った後
あわてて帰って来て ご飯食べたらまたいなくなって
大きな地震が来て 
余震がおさまったころ帰ってきた子。



その後も大き目の余震がある時は
必ずと言っていいほど家にいない。。。

なのですっかり予知猫よばわり。

寝る前には 家族で必ず光晴が家にいるかどうかを
確かめるようになりました。笑


























今回は心残りはないかも。。。

9月の終わりのある日の朝 1本の電話がかかって来た。
友人の訃報のお知らせ。

でも私は全然驚かなかった。

というのも その前の晩 
私は いつもはハルさんと一緒に寝てしまって絶対起きていない深夜に
食卓でパソコンを触っていて
その亡くなった彼女のフェイスブックのタイムラインを眺めていて
ちょっと不思議な体験をしたから。。。



そのさらにひと月前まで 
私の家から10分もしない所に住んでいたその友人は
もう治らないといわれたほど病が進んでいて 
面倒を見てくれる身内もいなくて 
でも自宅で療養する道を選んで 入院せずに一人でがんばっていて
もし手を貸してもらえたら・・・と連絡をもらい
約2カ月の間 行ける時は彼女の家に行って手当をしたり
我が家のおかずの余りを持っていったりしていた。


そんな経緯があって
それまでそれほど深いお付き合いではなかった彼女と
急に御縁が深まり
それはそれは いろいろな話をしたし 聞かせてもらった。

出会ってからもうすでに15年ほど経っているのに
不思議だね。。。と言い合いながら
結構濃密な2カ月だった気がする。

自分の都合が悪い時は「行けないよ」って遠慮せずに言うからね。。。という私に
彼女も「その方が助かるよ。無理はしてほしくないから」って。

だから毎日顔を見れるほど会っていたわけでは ぜんぜんないけれど
行けば2時間ほどは話しながらのお手当で

その間に
彼女の価値観や 
限りある時間の中で自分を律して生きる生き様や
遠くからヘルプに駆けつけてくれるたくさんの友人の話なんかを聞かせてもらった。
彼女の有り余る財産ともいえる
深く愛に満ちた交友関係も目の当たりにさせてもらい

一人の女性が一人で生きていく力強さや
しなやかさ
したたかさ
気高さ

いろんなことを見せてもらえた本当に密度の濃い2カ月だった気がする。



本当に 病状が進んでいる人とは思えないほど
彼女はしっかりしていて
いろいろなことが分かっていたような気がする。

8月の終わりに
ヘルプの手がたくさんある札幌へ引っ越してしまう時は
直前で大きく体の調子を悪くしながらも 
半日でペルプの手を借りて しっかり体調を戻し 
引っ越しの段取りをつけて 引っ越して行ったので

この人はもしかしたら病気を克服して札幌で再会できるのかも。。。と期待したほどだった。


最後に実際交わした会話は
「札幌で会いましょう~♡」という言葉。


会いに行けると思っていたのだけど
地震が起きて
彼女の自宅にあった 電動の介護道具が停電で動かなくなり
ポスピスのようなところに入らざるをえなくなって・・・
そのまま私も多忙で行けなくって 結局会えずにお別れになってしまったのだ。


でも
友人が連絡をくれた前日 
つまり彼女が亡くなったと聞かされた時間のほんの少し前

私はパソコンをいじっていて 彼女のタイムラインを眺めずにはいられなくって
画面に映る彼女の顔を見ながら
『やっぱり明日にでも札幌に会いに行こう』そう思っていたら・・・

ふと気配を感じて
「あれ?Mさん?」て呼び掛けたら
なんだかそばに来ている気がして・・・


普段 霊感が強いとかは全然ない私だけれど
その時は全く普通に
宙に向かって独り言のように

「もう逝っちゃうの?」「あと3日ほどで誕生日でしょ?」「もう少し頑張ってよ~」などとつぶやき
彼女が逝ってしまうのがわかって
「そうだよね~もういっぱい頑張ったものね。。。」
「律儀な人だね。。。挨拶に来てくれたんだ…」
「会いに行けなくてごめんね~」

と私が言うと

その時は 何かはわからなかったけどメッセージが降りてきて
私も会話できたことに納得して
「バイバ~イ。ありがとうね」って ちゃんと お別れの挨拶ができたのだ。

深夜のその時間は 
彼女が亡くなった という風には感じてなくて
ただ こちらにいた時に看病できたことが本当によかったと感じたし
それにひたすら感謝してくれる彼女の気持ちも伝わって
不思議な感覚のまま眠りに就いたのだ。



そして翌朝・・・
目が覚めて布団の中で
テトさんと むにゃむにゃと寝ぼけながら会話していて
「Mさん死んじゃったかも。。。」とテトさんに話したりして
起きてきたら 友人から彼女の訃報を知らせる電話が来たのだ。



だから驚いたり 悲しいというよりは
むしろ彼女がその前の晩 
わざわざ会いに来てくれたことが本当だったんだってわかって
嬉しかった。





ここ数年 大事な友人や 大事な存在の人を病で亡くすことが続き
遠方だったり なぜか疎遠になってしまっている時だったりで
看病などは全くできず
それぞれの最期の時間に会いに行くことですらできず 
後悔が募ることばかりだった。

でも

今回は自分が彼女にやってあげられることはやれた気がして
心残りはないかも。



そして 彼女の火葬までの2日間ほど
生前 彼女のヘルプの声にタイミングが合わず答えられなかった友人から
悔やむ声を聞くたびに
あの晩 彼女が私に伝えてほしかったメッセージが
しっかり形になって聞こえてきて・・・



こういう生き方を選んだ自分にとっては
ヘルプの声をたくさんの人にかけなきゃ生きていけないことはわかっていたし
それに応えられなかった人もたくさん出てしまったことは仕方なかったの。
だから その声に応えられなかったという後悔を持たないでほしい。。。
生きている間にご縁でつながってくれた人達みんなには
本当に感謝しているし 
み~んな大好きだから❤



そう彼女は
言っていたのだと思う。


お見送りは2日間 札幌の彼女のマンションで開かれて
お友達があふれるばかりで
見たこともないような柔らかくあったかいお別れの会だった。


彼女らしい 素敵な会だったそうだ。

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次のステップへ。
お別れは寂しいけれど悲しくはないよ。

Mさん ありがとう。



 







プロフィール

工房ワタリガラス

北海道の由仁町という町でガラス作家をやっております。冬はガラス屋さん 春から秋まで小さなクラフト&アートのギャラリー(テトテト)の店主をやっております。        
息子(テトさん・ニックネーム)の子育て落ち着くまで こんなペースでお仕事変わります。日々の暮らしのあれやこれ 自分の作品や工房の事、Gallery teto² の裏話等々綴っております。
*ギャラリーの営業情報は右下のリンクより飛んでお読みください。